元号の典拠  誤解・曲解・勘違い!

JUGEMテーマ:社会の出来事

 

 次の元号が「令和」に決まった。出典は萬葉集だという。萬葉集なら万葉仮名、つまり音標文字で書いてあるのだが、歌の前書きで漢文になっている部分からわざわざ取ったという。「国書(日本の古典)に典拠を持つ初の元号」という政治家の牽強付会も、それを受け売りするメディアの報道も日本人の心の貧しさを表すだけだ。それほど中国の古典から取るのが嫌なら、源氏物語の巻の名前を元号にして、澪標元年(みおつくし)とか玉鬘二年(たまかずら)とか、やまとことのはで日本らしい名前にすればいいのに。
 

 平成の元号が決まった時には、意図的な誤魔化しではないが、後世の偽作とされている書を出典として日本政府が麗々しく掲げてしまうという失態があったことはあまり知られていない。まして不勉強な日本のメディアがそれに気づいて報道するわけもなかった。

 

 「平成」の出典として政府が挙げたのは、書経の大禹謨篇と史記の五帝本記だった。でも書経の方は全58篇のうち25篇は後世の偽作であることが判明しており、大禹謨はそれに含まれているのである。清代の考証学者、閻若璩によると、これら25篇は3世紀ごろに誰かが散逸した資料から書経を復元しようとしたものらしいとのことだ。そしてこの大禹謨にある「天平地成」のことばが平成の典拠とされたのだ。またもう一つの典拠とされた史記は本物だけれど、こちらは五帝本記にある「内平外成」の言葉が挙げられている。

 

 この話には続きがあって、実は大禹謨の「天平地成」も史記の「内平外成」ももともとは春秋左氏伝の文公18年の項にある言葉なのだ。両方とも堯の次の君主である舜の業績に触れた部分で使われており、司馬遷も書経の偽作者もここからこれらの言葉を引用したのだ。だから、日本政府は書経だの史記だのゴタゴタ言わずに、最初から「春秋左氏伝文公18年の項」を出典としておけばよかったのだ。

 

 今回の「令和」の出典は、萬葉集の巻第五の“梅花歌卅二首并序にある「初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」だそうだ。中国では詩でも聯でも対句を使うことが多い。春といえば秋、天といえば地、花といえば人というように、私たち中国人は普段の生活の中でもいろいろなものをペアで考えたりペアになるものを探したりする人種なのだ。旧正月に掲げる聯を春聯というが、例えば今年のものではこんな具合に対句にする。

 

 昨夕犬年歓歌迎大地 戌年の昨夜は喜びの歌で大地を迎え

 今朝猪歲新景満神州 亥年の今朝は新しい景色が全国に満ちる

 

 昨夕と今朝、犬年と猪歲、歌と景、大地と神州というふうにパートごとに対になっている。それぞれの句で3文字目は3文字目で対応し、4文字目は4文字目で対応している。平成の元号の場合も原典からの抽出がそういう形で行われている。「天平地成」、「内平外成」でそれぞれ対応する天地、内外という言葉を取り除くと、それらを叙述している「平成」という言葉になる。

 

 しかし、今回はそうではない。「初春月、氣淑風」というように最初の句の3文字目と次の句の4文字目という奇妙な取り方をしている。形としてシンメトリーでなく、何かぎこちなく無理やりの苦肉の策という感じが拭えない。。後半の氣淑風和では「気」と「風」が対になっているので、平成のように取り出せば「淑和」となる。これが元号であれば無理がなかったと思う。やはり、出典は我が国の古典だと言いたい愚昧な総理大臣の意向が働いたのだろう。

 

 また、山上憶良が書いたとも言われる萬葉集のこの序が、文選にある張平子の帰田賦と酷似しているとの指摘があるが、あれはいわば文選の表現を「本歌取り」して上手に書き直して萬葉集に入れたのだから、似ていて当然なのだ。帰田賦は陶淵明の帰去来辞と同じく、役人をやるのが嫌になった作者が故郷に帰ろうという気持ちを述べたものだ。

 

歸田賦 張平子

 遊都邑以永久無明畧以佐時徒臨川以婬俟河羝談ご感蔡子之慷慨從唐生以決疑諒天道之微昧追漁父以同嬉超埃塵以遐逝與世事乎長辭於是仲春令月時和氣原隰鬱茂百草滋榮王睢鼓翼倉庚哀鳴交頸頡頏關關嚶嚶於焉逍遥聊以娛情爾乃龍吟方澤虎嘯山丘仰飛繊繳俯釣長流觸矢而斃貪餌呑鉤落雲間之逸禽懸淵沈之魦鰡于時曜靈俄景以繼望舒極盤遊之至樂雖日夕而忘劬感老氏之遺誡將廻駕乎蓬蘆彈五絃之玅指詠周孔之圖書揮翰墨以奮藻陳三皇之軌模苟縱心於域外安知榮辱之所如

 

 ただ、元号の出典なんかはテキトーに意義付けして説明することが簡単にできるのであって、令和の出典として中国の読書人(知識人)たちは諧謔としてこんな出典を挙げている。

 

 清史稿·和珅伝に「乃賜令和珅自尽」(和珅を自殺せしめ)とあるのが出典だとか、西遊記で孫悟空と鹿力大仙との会話にある「我師兄原有暗風疾,因到了高処,冒了天風,旧疾挙発,故令和尚得勝。」(だから和尚を勝たせてしまったのだ)であるとか賑やかだ。あるいは老荘で言う導引術という呼吸法の東晋時代の解説書に「導引者、導気令和、引体令柔」とあるのが典拠だとか、マジメな顔してアホウなこと言って楽しんでいる。

 

 中国人はこういう漢字遊びが大好きだが、日本人はそれほどでもない。萬葉集が出典だというならSNSなどでもっと知的ジョークが横行してもいいと思う。そこまでの素養も教養もない人ばっかりなのかも知れないが。

 

 先に、平成の出典として政府が説明した書経について書いたが、「昭和」も書経を典拠としている。偽書とわかっている25篇を除く残りの33篇は秦始皇帝の焚書で焼かれたものを、前漢の初期に秦の学者が復活したことがわかっている。「昭和」の出典である「百姓明、協万邦」はこの33篇のうちの堯典に拠っている。ただ、これも前の句の3文字目、後の句の2文字目を取っており対称性には欠けている。

 

 


04月07日のつぶやき

18:44
出張から東京へ戻ります。 このへんは日没が東京より一時間ぐらい遅いみたいです。 とは言うもののガラスが反射して外が見えない?? https://t.co/NIt4fecz1f

04月05日のつぶやき

13:47
国内出張。 今晩はそこの地元紙にいる後輩と一杯? ガールズトークというかオバハンの井戸端会議というか。 https://t.co/lizigL1m91

私の「満鉄」旅行記(6) 満洲国には「国民」がいなかった!

 

◆ 満洲の住民

 20世紀初頭には1500万人程度だった満洲の人口は、1940年には4100万人まで膨張していました。日本の貧しい地方から満洲のあちこちに開拓団が移住したことや、満鉄の関係者、さらに日本から逃れるように大陸に渡った若者などがたくさん住んでいたのです。また日本の朝鮮総督府が進めた朝鮮人満洲移住計画のためでもあります。朝鮮北部の咸鏡道・平安道の朝鮮人を吉林省へ送り、南部の慶尚道から黒龍江省へ、南部全羅道から遼寧省へというように60万人ほどの朝鮮人が移住したと言われています。とは言え4100万人の人口のうち満洲族を含む中国人が94パーセントで大多数でしたが、200万人以上の日本人(朝鮮人を含みます)や6万人余りのロシア人も住んでいました。しかし、実は満洲国は「国民のいない国家」だったのです。

 

 なぜ国民がいないのかというと、満洲国には憲法がなかった上に、国民の要件を定める国籍法も作られなかったからです。ですから「満洲国籍の民」というのは法的には存在しなかったのです。満洲ではなぜ国籍法を作らなかったのでしょうか。

 

◆ 国籍法ができなかった理由

 いくつか理由がありますが、その一つは満洲に住む日本人が満洲国籍になることを嫌がったからです。先ごろの蓮舫議員や全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手の件でおわかりのように、日本は今でも二重国籍を認めていません。当時の国籍法(1899年法律第66号)では、第20条に「自己ノ志望ニ依リテ外国ノ国籍ヲ取得シタル者ハ日本ノ国籍ヲ失フ」とあります。(いまの国籍法でも同様で、第11条に「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とあります。)

 

 当時、満洲に住む日本人は領事裁判権の適用や課税の免除といった治外法権を持っていました。日本国籍のままでも取り立てて何の不自由はなかったのです。満洲から外国に出る際はどうしたのでしょう。日本人や朝鮮人は日本のパスポートを使えますし、日本へ渡航する時には戸籍謄本だけで十分だったのです。ですから、日本人にとって満洲国籍になるメリットは何もないに等しかったのです。

 

 特に満洲国の政府機関で働く日本人は、日本の官庁や会社のポストに戻ることがあるわけですから、満洲国籍を取り日本国籍を捨てるわけにはいかなかったのです。満洲側では二重国籍を認めていましたが、日本国籍を放棄してしまったら、日本の官界や実業界への復帰の道が絶たれてしまいます。(左は大日本帝国旅券)

 

 「五族協和」というスローガンを掲げた日本の軍部は困りました。漢、満、蒙、朝、日の五族と言いながら日本人だけが「外国人」では、スローガン自体が成り立たなくなるからです。満洲国政府を日本の指導下に置きたいものの、満洲国の官僚や幹部である日本人が日本国籍の「外国人」で治外法権を振りかざしていては「五族協和」のお題目が最初から嘘だとばれてしまう。ですから関東軍は満洲国の国籍問題や法案に関する情報が表ざたにならないよう大変に苦労しました。

 

◆ 外国人である日本人に対する不満

 実際に満洲国政府の漢族や満州族幹部の間では、「外国人」である日本人がなし崩しに大挙して乗り込んできて政府の要職を独占したことに不満が高まっていたようです。早稲田の先生で日本の旧領土での国籍問題に詳しい遠藤正敬さんは、当時の日本の在吉林領事から外務省宛ての以下のような秘密電報を紹介しています。

 

「1934年4月,在吉林領事の外務省宛電報では『日本国籍ヲ有スル者カ満洲国ノ官吏タル為中央地方全体ヲ通シ満洲国人官吏トノ感情融和セサル所有リ』満系官吏は『内心ハ殆ト全部不快ノ念ヲ抱キ敬遠的態度ヲ取リ』日満官吏における軋轢は深まっていた。」

「日本人官吏の国籍が不分明のままその地位を存続すれば,『満洲国人』の民族意識に悪しき影響をもたらすばかりでなく,満洲国の独立国家としての形態を欠損するとの懸念が日本側にも強くなっていた。」

 

 また、日本から移民してきた農民にも、お前たちは満洲国へ移住してきたのだから明日から日本人ではないというロジックは通用しませんでした。満洲国籍を作ってしまうと移住した農民たちは日本国籍を放棄せざるを得ません。でも、隣接する朝鮮や台湾では朝鮮人、台湾人を、二等国民にはせよ、日本臣民として扱っていたのですから、満洲では日本国籍を捨てろと言われたら新規の開拓農民が入って来なくなってしまうでしょう。「金鵄輝く大日本帝国臣民」だと思い込んでいた日本の農民などがこれを認めるはずがありません。こんな理由で満洲国には終戦まで国籍法が無く、その結果として国民がいなかったのです。(左は満洲国のパスポート)

 

 満洲国には憲法もなかったので、関東軍は国籍法がない事も曖昧なままにして最後まで放置しました。最初から満洲に住んでいた中国人の「戸籍」を作り、戸籍を持った人は国民だということにしてお茶を濁しました。中国人でも山東省あたりからたくさん入って来ていた季節労働者などは、満洲域内に戸籍がないということで外国人扱いにし、同時に革命を逃れてきたロシア人に関しても、ソビエトからクレームがつくのを恐れて無国籍のままで放置しました。一方で、朝鮮人も含む日本人は日本や朝鮮に戸籍があれば満洲に戸籍がなくても構わないという行き当たりばったりで杜撰な解決法を取ったのです。

 

◆ 間抜けな主張

 日本の右翼がネットでこんなことを書いていました。

「満洲は明らかに清朝の復活です。満洲人の満洲人による満洲人のための満洲国を作りたかったんだけれども、それをやる能力がないから日本が内面指導したんです。大臣はすべて満洲人か清朝の遺臣でした。」

 

 この主張は「大臣は全て満洲人か清朝の遺臣」というところからして間違っています。上に書いたように満洲国には国籍法がなかったのですから、「満洲人」とはなんでしょうか? 大臣は殆どが漢族であって、満州族ではありません。また、満洲国政府の初代の実業部部長(経産大臣)になった張燕卿は清末の政治家、張之洞の息子ですから満洲生まれではないし、1898年生まれで辛亥革命の時にはまだ13歳ですから清朝の遺臣であるわけもありません。それに各部の次長(副大臣)のポストにはほとんど日本人が座っているのです。中国人にその能力がないから日本人が次長にすわって「内面指導」(ってどういう意味でしょうね)したというなら、つまり治外法権に守られた外国人が政府に乗り込んで意のままに操ったということではありませんか。

 

 憲法もなく、選挙もなく、治外法権を持った「外国人」が皇帝の秘書から政府の要職までを独占した国、国籍法がなく国民が不在だった国、立法院は作ったけれど議員選挙は行われたことがない国、それが満洲国の実態でした。

 

◆ 日産とルノーに例えてみれば・・・

 昨日ちょうど日産のゴーン元会長が保釈になったので、満洲国を日産という企業に例えてみましょう。この企業には定款がないのです。そして労働契約もないので誰が社員なのかはっきりしません。とにかく工場へ出勤してくる人が社員であるということにして業務を行っているだけです。フランスと日本の「二族協和」企業をスローガンにしており、代表取締役会長や取締役はすべて日本人ですが、執行役員や各部の部長はすべてフランス人で占められています。しかもこれらのフランス人はすべて外交官であり治外法権を持っていますから、日本でどんな犯罪に関わろうが日本では処罰されないのです。また、会長の秘書などはすべてフランスの軍人で、経営方針はフランス政府とフランス軍の意向に沿って決定されています。就業規則はありますが、治外法権を持ったフランス人はこれに従う必要はありません・・・。

 

 こんな組織を会社と呼べるでしょうか?こんな組織を日本人とフランス人の「二族協和」を目指す理想の企業だと言えるでしょうか? 全く冗談にもならないレベルであることが明白だと思います。満洲国というのはこんな存在だったのです。そこで従業員たちがいくら真面目に働いていたとしても、これが企業と呼べないことに変わりはありません。

 

 企業や法人で言えば定款すらない団体、そして今の言い方をすればガバナンスやコンプライアンスどころか、その根拠となる基本的な決まりすら存在しないのが満洲国という「組織」だったのです。満洲国は理想の国家建設だったなどという馬鹿らしいお伽噺を今になっても意図的に吹聴する日本人がいます。国家の建設が国民の存在なしにできるものかどうかという最も基本的な事に目を向ければ、満洲国が「国家」ではなかったことは明白です。

 

 石原莞爾は、所詮は陸軍の学校しか出ていない田舎の秀才でした。ドイツに留学したものの、国家の構造や法治の仕組みなどは学ばず、白人に対する嫌悪感を増長させたに過ぎなかったのです。彼は結局は世界を見据える目を持たない空想家の軍人に過ぎませんでした。国民のいない「満洲国」が「国家」とは呼べない事は自明の理だからです。

 

(「私の「満鉄」旅行記(7)満映 李香蘭と甘粕正彦」に続く)


私の「満鉄」旅行記(5) 満洲国皇宮(2)

満洲皇帝の執務棟「勤民楼」

 緝煕楼(しょうきろう)の裏側には溥儀が公務を執った勤民楼があります。ここには溥儀や宮内府の官僚たちの執務室の他、皇帝の御座所、日満議定書が署名された部屋やパーティー用の大広間などがあります。緝煕楼や勤民楼の内部は満洲国崩壊後のソ連軍の侵攻や国共内戦のために破壊されてしまい、2000年から偽満皇宮博物院として公開するための工事が始まりました。10年余り前の朝日新聞に次のような記事が載っています。

 

愛新覚羅・溥儀の「皇宮」、全面復元へ 中国・長春

中国吉林省長春市の「偽満皇宮博物院」が、「満州国皇帝」とされた愛新覚羅・溥儀の住居や執務室周辺の「全面的な復元」とリニューアルを進めている。抗日戦争の歴史を伝える「愛国主義教育基地」の役割強化とともに、観光客への魅力の向上がねらい。関東軍が使用したとされる馬場やその関連施設が復元されたほか、大規模な展示館も新たにオープンした。長春市政府が「皇宮復元計画」を打ち出したのは00年。溥儀が執務を行った「勤民楼」や住居とした「緝熙楼」などに関連資料を展示してきた同博物院は、1万2000平方メートルだった敷地を約10倍以上に拡大。周辺の庭園復元など計23項目の建設計画を進めてきた。すでに建設が終わった馬場は乗馬観光などもできるようにする予定。また「御花園」を復元し、大規模な緑化公園を建設する工事も進む。さながら溥儀と抗日戦争を主題とした大規模なテーマパーク建設の様相だ。2006年10月6日朝日新聞

 

 ちょうどこの記事が書かれた頃は北京オリンピック前のバブル初期で、テーマパークで人を集めるのが流行りだったのです。西安でも秦始皇帝が焚書坑儒で儒者を生き埋めにした場所のテーマパーク化が計画された話を以前書きましたが(私の西安日記(1)焚書坑儒http://zhao.jugem.jp/?eid=913、満洲皇宮は「不忘先事、後事之師」というわけで、様々な当時の資料を基にまともな復元が進められているようです。元の皇宮の敷地は戦後は一般の用途に使われていたため、復元のために3つの市場、2つの学校、2つの工場、ガソリンスタンド1つ、それに600戸あまりの住宅を移転させたというのにはびっくりしました。今の計画では最終的に工事が終わるのは2024年の予定だということです。

 

 皇帝溥儀の執務室のすぐ隣は皇帝御用掛だった日本の軍人、吉岡安直の執務室です。吉岡は関東軍司令部付の立場のまま、この役を務めていたのです。吉岡については溥儀自身が「我的前半生」の中で、自分に対する監視や言動について批判しているほか、溥儀の弟、溥傑氏の夫人だった嵯峨浩さんも吉岡が皇帝を操っていたと書いています。しかし、吉岡や侍衛長だった工藤鉄三郎については溥儀に対して実は大変忠誠を尽くしたという意見の人もあり、日本人はそれをめぐって今でも議論を戦わせています。
 

 でも、そもそも日本の軍人が皇帝の部屋の隣で御用掛として執務していること自体が、五族協和なんてスローガンが最初からデタラメだったことを示しているじゃないですか。吉岡自身がどのような気持ちと心構えだったかなんてコトは中国人にとってはどうでもいい話なのです。日本人である関東軍の現役将校が満洲国皇帝御用掛を務めるという満洲国政府の枠組みそのものに関する議論は横に置いて、皇帝への忠義などに話を矮小化し枝葉末節の議論に口角泡を飛ばす日本人はホントに重箱の隅しか見ない人たちだと思います。

 

 

 勤民楼の下には溥儀の乗用車も展示されています。これは溥儀が個人的に使っていた車だと言われますが、説明書きがないのでメーカーも車種もよくわかりません。満州国皇帝の御料車(公用車)は米国製のパッカードのリムジンだったのですが、この写真の車は公用車より小さく窓の形も違いますし、エンブレムも異なります。ここの売店では公用車パッカードの模型を売っており、車好きの日本人が結構買っていくということでした。

 

満洲皇帝の新宮殿

 この手狭な宮殿は仮のものという扱いで、本来は町の南西側に新宮殿が作られる予定でした。新宮殿は1938年に建設が始まりました。宮殿は東西220m、高さ31m、2階建てという壮大な建物もなる計画で、屋根瓦は北京の紫禁城と同様の黄金色の瑠璃瓦が葺かれる予定でした。しかし戦争の激化で建設資材が足りなくなり、1943年に工事は中断されたまま終戦を迎えることになります。終戦までには地下の部分しかでき上ってはいなかったのです。

 

 戦後、国共内戦のあと、中国政府が日本の作った設計図を基に建設を再開し、1950年代になってこの建物を4階建てで完成させました。もちろんその用途は宮殿ではなく、長春地質学院の教室として使うためで、その後長年にわたって地質学院の学生たちが学んだこの建物は、今は吉林大学の地質博物館になっています。一般公開されていると言われていましたが、私が訪れた時には改修工事中で中へは入れず、しかたなしに正面から写真だけ撮りました。この広場は宮殿正門前の広場になるはずだったのですが、今は長春文化広場として公園になっています。この公園から延びる新民大街の大通りには満洲国の政府機関や官庁が立ち並んでいましたが、今も建物はほとんどがそのまま残っていて、かつての満州国軍事部、司法部、経済部、交通部、満州中央銀行本店、国務院なとが並んでいます。もちろん今の用途はまちまちで、大学や病院、吉林省政府機関や党の機関などが奇妙な形の古めかしいビルに入居しています。(偽皇宮の項、以上)


02月25日のつぶやき

13:16
そういう人たちが「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。」という帝国海軍沖縄司令官だった大田實中将の遺言の方も全くスルーするのは、無知蒙昧で因循姑息な人間だから。 江川さんは優しいからお作法を説くけど、私は… https://t.co/H9JNt4q3uS

11月06日のつぶやき

 

さて任務完了。 これから日本へ戻ります。

https://t.co/ZqnfzuNwsC


 

11月04日のつぶやき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日まで出張。

お昼は屋台で食べました。

日本もこのくらいの値段(300円ぐらい)で気楽に食べられる屋台店があるといいのに♪

 


合宿や林間学校やめろ 「政治力」に頼る高圧的な五輪組織委

 

東京の組織委はこれまで5年間も眠っていたのだろうか?

既に2000人を超える職員を抱えながら、有効な手立てを大会2年前を切ったこの時点まで考えていなかったというのは怠慢を通り越して大馬鹿としか言いようがない。NHKでこんなことが報じられていた。

 

東京五輪でバス不足のおそれ 学校行事などに影響も

2018年10月27日NHK

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は、文部科学省やスポーツ庁に対し再来年の7月18日から8月10日までの間、バス利用を伴う部活動やサークル活動の合宿、林間学校といった行事の実施時期をずらすなどの協力を、学校などから得られるよう周知を求めたということです。これを受けて文部科学省やスポーツ庁は、ことし7月、各都道府県の教育委員会や全国の各大学などに対し、協力を要請する文書を送ったということです。

全国の学校現場ではすでに学校行事や部活動の合宿などの実施時期の見直しを検討する動きも出始めていて、戸惑いの声が上がっています。

NHKの取材に対し、組織委員会は「教育関係者によるバスの予約と競合するおそれがあり、状況を事前にお知らせしたいと考えた。無理のない範囲で対応を検討してほしい。今回の要請についてご理解をいただきたい」と話しています。

また、今回の要請について担当しているスポーツ庁オリンピック・パラリンピック課は「教育関連の行事をずらすことなどを強要するものではない。バスが不足するという状況をお知らせすることで検討を進めてほしいと考えた」としています。

 

 組織委はいつも上から目線で政府を使って高圧的に自分たちの怠慢と無策を挽回しようとする。ボランティアの募集では、大学の試験を早めろとか割り当て数の学生を出せなどと文科省を通じて指令を出した。こんどのバスの件でも文科省に自治体の教育委員会に圧力をかけるよう指示した。

 

 これらの無理難題は、すべて組織委会長である森喜朗氏が政府に持ちかけたものと見られる。森氏自身が歴代総理の中で最も評判の悪かった一人であったことはさておいても、組織委の無為無策を政治的圧力で解決しようとする手法は許しがたい。

 

 またオリンピックというものの成り立ちから考えても理念に反しているとしか言えない。IOCはこの頃、オリンピックの価値として「卓越」「敬意」「友好」の3つを挙げているが、森氏の率いる組織委がやっている事は、「無能」「尊大」「圧力」の3つの価値だ

 

 組織委員会には2000人もいながら誰一人何をやっていいのかわからず、部局が縦割りで右手のやっている事を左手が知らず、職員のほぼ全員が都庁や国、企業からの出向者だから自分の本籍のことや大会が終わってからの自分の戻るポストのことしか考えていないような状態でマトモな仕事ができる訳はないじゃない。

 

NHKニュースはバスの不足について次のような解説を載せている。

 

今回の要請の背景には東京オリンピックの期間中、都内のバス会社が保有する貸し切りバスだけでは必要な台数を賄いきれないという事情があります。組織委員会は過去の大会を参考に、東京オリンピックでは選手や競技役員、メディアなどの大会関係者を運ぶのに、大型の貸し切りバスだけで1日当たり最大で2000台が必要になると試算しています。組織委員会は安全面などを考慮して日本バス協会に所属するバス会社を利用することにしていますが、都内にはこうしたバスは合わせて1400台しかありません。

 

 こんな事は組織委が結成された5年前からわかっていたことだし、2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪、2016年のリオ五輪と、過去の例を調べれば選手やメディアの輸送で大体何台ぐらいのバスが必要になるのかは当然ながら明明白白だったのだ。東京組織委はリオの組織委からその経験を引き継ぐためにデブリーフィングという会議を何度かやり、そこにも多くの職員が出席していたのだが、彼らは全くのボンクラだったのだろう。

 

 2008年の北京五輪の時には、組織委は北京市と共に事前に市バス車両の更新計画を立て、大量のバスの製造を発注した。これらのバスをオリンピックの時の輸送に使い、大会終了後に古い市バスを更新したのだ。2008年以前に更新する予定だった市バス車両は使用期間を延長して2008年の五輪終了後に一斉に更新したのだ。

 

 日本人にはこのような計画性が欠けているように見える。最後にドタバタと辻褄を合わせることに関しては、日本人は世界に冠たる能力があるけれど、実は中期的な計画ですら立てられない行き当たりばったりの人たちだから行き詰まってからのブラック勤務による解決とか、高圧的に「お上」からの行政指導を出してもらってしのいでいるのではないか。

 

 森喜朗氏の余計な政治的介入と横槍によって物事を進めるようなことを「政治力」による解決だと思っている多くの日本人は、なんとアホウで心の貧しい人たちなのだろうか。

 


安田順平さん解放と猥褻論争

JUGEMテーマ:社会の出来事

 

 安田さんの件についてのいろいろな人とのやり取りを通じて感じた事は、この件は猥褻と表現の自由をめぐる論争に似ているという事です。数年前に自分の性器の型を取って展示し、これは芸術だと主張した女性が猥褻物陳列罪に問われた事件がありました。これは芸術だと主張する女性と、単に型をとっただけで猥褻に当たるとする検察の主張が対立した事件です。

 

 私は、あんなものを芸術だと主張するのは牽強付会と売名目的以外のなにものでもないように思いましたが、同時に「あんなモノ」でも、検察が介入するのは表現の自由に対する危険だと感じました。ですから「あんなモノ」を、「表現の自由を守る」という立場から擁護しましたが、それでも「あんなモノ」という気持ちは今でも持っています。

 

 安田さんの件もこれと同じです。安田さんはとても勇敢ではあったものの、今回の取材は記者として全くの失敗であり、その点からは何も擁護できません。救出には水面下での多くの人の努力と多額の費用がかかりました。また本人は黙ってりゃいいのに以前から大言壮語癖があるので人から疎まれていたという背景もありました。

 

 しかしながら、言論や報道の自由、そして政府の自国民保護という大義と原則の点から見れば、どうしても安田さんを救わなければいけないのです。解放を嘉するべきなのです。あの猥褻容疑事件と同じで、安田さんのことを「あんなモノ」と思った人も多かったのだと思いますが、その大義の端っこに引っかかってるようなものですら否定したら大原則が成り立たなくなって瓦解するのです。

 

 漢の高祖劉邦は、皇帝の位についてからしばらく論功行賞を行いませんでした。原資がなかったのです。そのため、部下の将軍たちは不満を募らせていきました。その時に参謀の張良の献策で、部下の中で最も嫌っていると皆が知っていた雍歯を劉邦は先ず什方侯に封じたのです。他の将軍たちは驚きましたが、一番の嫌われ者ですら侯に封じられたのだから、自分たちが恩賞に与るのは間違いないと思って不満がしぼみました。一番端っこにあるものだからこそ、大義と原則のためには重んじなければいけないのです。今回の件で私は史記にあるこの話を思い出しました。

 

以下はこの件をめぐるツイートのやり取りです。

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かつて木村太郎氏が、災害や戦争で人が逃げて来る時にそれと逆方向に進まざるを得ないのが記者だと言ったことがあるが、その通りだと思う。安田さんが英雄だとは全く思わないが、勇気ある記者だとは思う。政府が自国の記者を守り救うのは、その国の報道の自由レベルを表すと言ってよいだろう。
 こういう対価は払わないに越したことはない。しかし、自由な報道、自由な言論という国民全体にとって極めて大切な価値を守るためには、時には支払わなければならないものだとは思う。

 

安田さんをバ◯だと罵るのが国民全体にとって極めて大切な価値を守るためには、時には払わなければならないものだとは思います。

 

取材のやり方としては、安田さんはインフォーマーの選び方や地域の状況把握で下手うってるのですから、他の記者たちからアホウと言われるのは仕方ありませんが、国民全体がアホウと言う筋合いではないと思います。それはむしろ一億一心やファッショの方向に向かう危険があると思います。

 

で、彼はどんな報道したんでしょうか?

 

安田さんが前に書いた戦場の出稼ぎ労働の話などは立派な報道だと思います。
今回は記者としては下手うって何もできなかったのですから、「他の記者からアホウと言われても仕方ない」と前のツイートに書いたワケです。
もっとも私なら「虜れ人 シリア4年の記録」って本を書いて少し稼ぎますけどね♪

 

悪くない一般人を巻き込む恐れのあるテロ活動の資金を断たなければならないのに、それよりも無鉄砲でドジなジャーナリストの命を尊重しなければならないのですか?

 

「無鉄砲でドジなジャーナリスト」に対してですら対価を払うというところに、この対価の意味があるのだと私は思います。言い方を変えれば、それも自由な言論、自由な報道のための対価のうちだと言えるのではないでしょうか。

 

何で記者だけが特別な基準で守り救われねばならないのでしょうか。
自国民を助けるのはその政府の当然の義務であり、政府が助ける対象に分け隔てがあって良いとは思いません。記者だろうが、他の職業だろうが、誰でも同じ基準で救われるべき。

 

記者に限ったことではないでしょう。国境なき医師団の医師でも同じだし、プラント輸出の技術者も同様でしょう。兵士もそうでしょう。つまりは、危険の多い地域に入るのが仕事の自国民を守り救うのが、マトモな政府だということではないでしょうか。

 

言わんとすることは同意。
ただその例えなら人が逃げて来る時に逆方向に動いても自分の身を守れるだけの知識・技術・経験は持ってないといけないと思う。そして身を守れないとなったら勇気を持って撤退を決断しなければいけない。安田さんのこれまでの経緯を考えるとそういう所が致命的に足りない…

 

「逆方向に動いても自分の身を守れるだけの知識・技術・経験・・・」はおっしゃる通りだと思います。安田さんについては書いたものを読んだだけなのですが、ずいぶん無茶する人だなぁという感想は持っています。

 

日本は憲法9条が邪魔をして救出に行けない。他国の力を借りて救出する分けで外交上大きな借りを作る。身代金を他国が払ったとすれば馬鹿1人の身代金が武器になり弾丸になって何十倍何百倍の人が殺される。粋がってんじゃ無いよ!

 

論理の筋がずれてます。
それから「救出」ということが軍や特殊部隊を派遣して行うことに限定してしか考えられないのなら、孫子とモサドのやってきたコトを学んでください。
ズレた議論をする気はありません。

 

日本語でお願いします。

 

日本語ですか。
大混蛋、不要接近!
これで如何でしょ?

(ドアホ、近寄るな!の意)
 


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