私の「満鉄」旅行記(4) 満洲国皇宮(1)

 

 清朝最後の皇帝である溥儀を1932年に日本が擁立して建国したのが満洲国です。溥儀は当初は執政という肩書で、2年後に皇帝を名乗りました。その年に長春は「新京市」と改名され満洲国の首都という事になりました。

長春市は瀋陽から直線距離で270キロほど、日本で言えば東京から岐阜市までの距離と同じです。満鉄のこの区間を昔のあじあ号だと大体3時間半、急行のひかり号だと4時間半で結んでいました。今は新幹線(高鉄)で1時間20分ほどで長春に到着します。あっという間に着く感じです。

 

 ちなみに満洲国当時の満鉄特急あじあ号は大連とハルビンの間を、急行ひかり号は朝鮮の釜山から京城(ソウル)、平壌、奉天(瀋陽)を経由して新京まで、急行のぞみ号は釜山から京城(ソウル)、平壌を経由して奉天まで運行していました。

 

 「ひかり」や「のぞみ」という満洲・朝鮮の急行の愛称は東海道新幹線の列車名にそのまま転用されています。こんなところも日本人の満洲に対する懐旧趣味から出たものではないかと思ったりします。(写真は急行ひかり号)

 

 

 

 

 

 

 

(長春駅南口)

 

 長春駅はいま南口の大工事を行っており、北口しか使えません。しかし駅が巨大なので、地下鉄1号線では南口に長春駅、北口には一駅先の長春駅北という二つの駅があります。駅の南側が昔も今も町の中心で、南口のすぐ前にかつての大和ホテルがあるのですが、今はこの区域も再開発工事中で近づくことができませんでした。

 

 

  満洲国の皇宮はこの長春駅北から4号線に乗り換えて偽皇宮駅で降りるのが一番便利です。料金は2元(約32円)。4号線は一部が地下を走っていて確かに「地下鉄」なのですが、実質的には路面電車です。都電荒川線が地下を走っているようなものです。中国語でも「地鉄4号線」と「軽軌4号線」の両方の表示があります。(ちなみに「軽軌」はlight Railの直訳です)

 

 

 

 偽皇宮駅で地上に出ると目の前に延々とベンガラ色の塀があり、それに沿って下って歩いて行くと満洲国皇宮の入口が見つかります。 

 

 

 

 

 

 

 

             (緝煕楼)

 

 門を入って最初にあるのが溥儀や皇后の住居だった緝煕楼(しょうきろう)です。皇宮は町の真ん中に建設予定だったのですが建設が間に合わなかったので、ここにあった吉黒榷運局公署の建物をそのまま利用しました。緝煕楼は1911年に作られた榷運局の事務所棟です。(吉黒は吉林省と黒龍江省のこと)

 

 「榷」(かく)というのは専売のことで、榷運局とは塩の専売を中心にした税金を取り扱う税務官庁です。1934年に日満実業協会がまとめた「満州国財政状態ノ概要及内国税徴収事務ノ現況」を見ますと、満洲国の税収全体の約30%が塩の専売からあがっています。それに次ぐのは出産税(生産物を生産者が売り渡す時にかかる税。別に赤ちゃんができたら払う税金ではない!)で17%、田賦(農地・農業税)が10%、銷場税(売り場税ということですから、商業税だと思います)が9%などとなっています。ですから榷運局はたかが塩の専売という事ではなく、最も大きな税収を扱う官庁だったのです。それを転用して溥儀の皇宮にしたのです。敷地の面積は4.3ヘクタールほどだったと言います。

 

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私の「満鉄」旅行記(3)瀋陽という町

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 瀋陽は、明が滅びて清朝(当時は後金)が北京に都を移すまで盛京と呼ばれた清朝の最初の都であり、その後は奉天と瀋陽の2つの名をとっかえひっかえしながら現在に至っています。ここには後金の最初の2人の皇帝、ヌルハチとホンタイジの皇居(故宮)があり、盛京はこの皇居を中心にした都市でした。写真は1884年に瀋陽を訪れたイギリス人が撮った写真(色は後でつけたもの)です。城壁に囲まれた街であったことがよくわかります。

 

 

 清朝末期の日露戦争後には東清鉄道の瀋陽駅周辺は満鉄の付属地となりました。現在も使われている瀋陽駅は1910年に完成したもので、東京駅を設計した辰野金吾の学生であった太田毅と吉田宗太郎によって設計されました。そのため自分の先生が作った東京駅と外観が何となく似ていると言われます。

 

2010年に新幹線(高鉄)の開通とともに、瀋陽駅では元の駅舎を残して、その西側(裏側)に巨大な駅舎を増築しました。写真で駅舎の後ろにドームのように見えるのが新幹線の駅です。瀋陽駅は、故宮など旧市街からかなり西に離れていますが、日本の行政、警察権のもとではこのあたりを中心として都市計画が行われ奉天の「新市街」として発展していきました。

 

 

 瀋陽駅周辺は都市計画で碁盤の目のように道路が作られています。それを斜めに突っ切る真っ直ぐな道を10分ほど歩くと中山広場へ着きます。満洲時代には奉天大広場と呼ばれたところです。横浜正金銀行(現在は中国工商銀行)、朝鮮銀行奉天支店(華夏銀行)、奉天警察署(瀋陽市公安局)、奉天ヤマトホテル(遼寧賓館)などの建物が丸い広場を囲んで建っています。

 

 

 この辺りでは「満洲の健在ぶり」を懐かしむ日本人観光客がよく写真を撮っています。しかし実はこれらの建物は既に古くなりすぎていて使いにくいのです。この話は新京の項で書きますが、冷暖房とか電気やLANの配線などを考えると、築100年のこれらの日本時代の建物は修理や維持にお金がかかりすぎるのです。空き家になっているものも出始めています。ただ、これらの建物は歴史的建造物に指定されたので壊されることはなさそうですが、実際にはその使命を既に終えたと言えるでしょう。

 

 

 いまの瀋陽の中心はむしろ瀋陽北駅から南の市府広場あたりにかけてです。北駅前は写真のように新しい高層ビルが立ち並んでいてオフィスやホテルがたくさんあります。日本には満洲を懐かしむ老人やレトロオタクが多いので、何かと言うと「日本が作り上げた瀋陽市街」のような言辞を見受けますが、実際には既に「博物館入り」の状態であり、今の瀋陽の中心は北駅付近の高層ビル街の方にあるのです。日本人はもういい加減に「満洲」に対する懐旧趣味を卒業した方がいいと思います。(PC版は次ページへ続く)

 

 

 

 

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私の「満鉄」旅行記(2)瀋陽(旧奉天)まで

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 前回書いたように、北京から瀋陽へはかつての京奉線に乗って行きます。今は在来線に並行して新幹線(高鉄)が通っています。日本と違って在来線も新幹線も軌道の幅は同じ標準軌(4フィート8.5インチ=1435mm)ですから新幹線は在来線の駅も使っています。北京駅では昔ながらの緑色の在来線急行も新幹線とホームを共用していました。

 

 北京から瀋陽までの在来線特急の停車駅と、新幹線の駅を比べてみましょう。午後1時に北京を出る在来線急行の停車駅と到着時刻はこんなふうです。

北京    13:00

黃村    13:30

廊坊北 14:02

楊村    14:34

天津    15:23

唐山    16:53

灤県    17:44

北戴河 18:43

秦皇島 19:04

山海関 19:38

瀋陽    0:53

 

 在来線急行は機関車が客車を引っ張るかたちの昔ながらのもので、北京を出ると天津や唐山へ少し回り道してから北へ向かいます。北京から瀋陽までは11時間53分かかり、これはかつて張作霖が瀋陽駅近くで爆殺された時の列車とスピードは大して変わりません。実はこの列車は瀋陽が終点ではなく、瀋陽からさらに吉林市を通って北朝鮮国境の延辺朝鮮族自治州の図們まで行くのです。図們には翌日の午後3時過ぎの到着ですから、北京から26時間以上かかるわけです。

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私の「満鉄」旅行記(1)切符を買う

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 3年ぶりの帰省でしたが、北京であの怖い母とずっと顔を突き合わせていると気づまりになりました。しかも母は相変わらず仕事が忙しそうなので、掃除も洗濯も炊事も結局は私が全部引き受けることになります。

 

 そこで北京を離れ旧満鉄(南満洲鉄道)の旅をすることにしました。川村湊さんという方が戦前の資料を大変詳しく読み込んで書いた「満洲鉄道まぼろし旅行」という本を最近読んで興味を持ったのが理由です。私は1週間程度の短い期間ですから、北京からまず昔の京奉線で奉天(瀋陽)へ行き、そこから旧満洲国の首都だった新京(長春)、そしてかつてあじあ号が疾駆した大平原を突っ切って南の玄関口である大連へ下るという行程にしました。 

 

 中国では「満洲国」に関係するものには「偽満洲国」「偽満洲皇帝」のように、全て「偽」の字を前につけることになっています。そうでないと現政権が「満洲国」を認めた事になってしまうし、「満洲国」時代に作られたものが中国にはまだ余りに多く残っていて今も使われていることの2つの理由からだと思います。でも私は「偽」の字をいちいち付け加えるのが煩わしいので、「満洲国」とか「満鉄」、「満洲」と書くことにします。

 

 満洲というのは、そもそもは中国東北部の土地を指す名前ではなく、満洲族という民族の名です。満洲族はツングース系の民族で女真人とも呼ばれました。宋の時代に中国北部に勢力を張った「金」は女真人の建てた国ですし、清朝も同じく女真人の国でした。陳舜臣先生によりますと、女真人に文殊菩薩の信仰が広まり、自分たちを「文殊」の民という意味で発音の近い「満洲」族と呼ぶようになったのだという事です。もちろん学者たちは様々な異論を唱えていますが、じゃあなんで満洲なのという問いには誰も答えられないようです。(次ページへ続く)

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