私のブラジル日記(11) サンパウロの日本人街

 サンパウロの日本人街はリベルダーヂというところです。今では中国人など他の東洋人も増えたためリベルダーヂは「東洋人街」と言われていますが、長い間ここが日系人の集まる場所でした。今でもリベルダーヂの地下鉄駅を出ると日本語の看板や鳥居に提灯が下がったデザインの街路灯、近くには小さな日本庭園もあります。

 

 リベルダーヂが「日本人街」になったのはそう昔の事ではありません。戦後の1953年にここに「シネ・ニテロイ」という日本映画を上映する映画館ができてから日系人が集まるようになり、その後に日本語の新聞社や日本食品のスーパー、それに戦後移民の一世たちが集うカラオケ店などもできて賑わったのです。リベルダーヂの最盛期は1970年代一杯だったようです。

 

 街路灯が鳥居に提灯なのもいかにも日本的なのですが、ここでは歩行者用信号まで鳥居の形をしています。こんな信号は日本にもないでしょう。

 

 

 1973年に移民船が廃止されるまで日本からのブラジル移民は続きました。その後80年代に入るとブラジル経済の破綻、そして日本のバブルと出入国管理法の改正があってブラジルの日系人が日本へ逆流する現象が始まりました。1908年以降ブラジルへ移民した日本人は13万人と言われる一方、1990年代に日本に定住したブラジル人は30万人以上と、移民数では日本の「入超」なのです。

 

 ところで、蓮舫氏の二重国籍をめぐる嘘の言いまくりが先日から話題になっていましたが、ブラジル人は国籍を棄てることができません。つまり日本国籍を取得して日本に定住するとしてもブラジル国籍も同時に持っているしか仕方がないのです。

 

 2000年代に入ると中国で「資本主義化」が進んだことに伴ってブラジルでも中国人は増えて来ています。「つがる」という看板を掲げたこの店は以前は日本料理店兼カラオケだったと聞きましたが、今では沙龍飯店という中華料理屋になっています。リベルダーヂにもこういう中華料理店が少しずつ増えています。話を聞いてみると多くは広東省出身者で料理も広東料理が中心です。広東省はもともと移民をたくさん出している地方で、神戸や横浜の華僑も半分以上が広東省の人たちです。日本の移民と違って、彼らは或る意味で「移民のプロ」ですから、雑草のようにコンクリートの隙間にも生えて少しの葉を茂らせるのです。

 

 一方、日本移民は個人商店も経営しますが、それ以上にある分野に集団で取り組みブラジル人がそれまでできなかったことをやって、その分野でリードしていくという形で現地に溶け込んだようです。例えば畜産業がそうです。今では日本の鶏肉輸入の90%はブラジルからなのですが、それは日系人が現地で努力を重ねて作った養鶏システムの御蔭なのです。日本と中国では移民の生き方もこんなに違います。それは優劣の問題ではなく、やはり国民性なのでしょう。

 

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 リベルダーヂはアルファベットではLiberdadeと書きます。英語で言えばfreedomの意味なのですが、問題は発音です。イタリア語でもスペイン語でもラテン系の言語でこれを発音すればリベルダーデとしか読まないのですが、最後がデではなくヂになるところがブラジルのポルトガル語です。Deはヂ、teはチと発音するのです。また最後がdやtの子音で終わる外来語もヂ、チと発音されます。ゆっくりという言葉はイタリア語でもポルトガル語でもlentamenteなのですが、イタリア語がレンタメンテなのにブラジルではレンタメンチって発音します。

 

 

 リベルダーヂで見かけた日本語の看板です。「ヨグチ」に「ルキケチ」?? 最初は一体何のことか見当がつきませんでしたが、上の発音ルールに当てはめるとヨーグルトはヨーグッチだし、lucky cat(ラッキー・キャット)はルキー・ケチになるワケです。ブラジルのポルトガル語はこういう点を考慮してゆっくり発音すれば、実はスペイン語でもイタリア語でも普通の人と話がかなり通じます。

 

 私のブラジル日記はこれで終わりです。Buona notte! (ブオナ・ノッテ、イタリア語でおやすみなさい)・・・なのですが、ブラジルではBoa noite!(ボア・ノイチ)

最後はしっかり「チ」の発音をして終わりにします。

 

(ブラジル日記の項、終わり)

 

 

 

 


私のブラジル日記(10) ブラジルの日系人

 リオ五輪では日系ブラジル選手が活躍しました。水泳のオープンウオーター女子10キロで銅メダルをとったポリアナ・オキモト選手は日系4世。また体操の男子種目別床運動で銅メダルのアルトゥール・オヤカワ・マリアーノ選手は日本名を「ノリ」といい、内村航平選手にあこがれて体操を始めたそうです。柔道では男子60キロ級のロンドンの銅メダリスト、キタダイ・エイジ・フェリペ、男子66キロ級では知花コウシロウ・チャールズが出場していました。みんな日本語がほとんど話せない3世、4世の選手ですが、出身は全員サンパウロです。

 

 ブラジルには160万人ぐらいの日系人がいると言われます。そのうち60万人ぐらいはサンパウロ市に住んでいるそうです。リオデジャネイロではほとんど日系人を見かけませんが、サンパウロでは市内のどこでも東洋の顔を見かけます。サンパウロに日系人が多いのは、日本からの移民船が到着したのがサンパウロの外港であるサントス港だったことが大きな理由のようです。

 

笠戸丸2

 ブラジル移民は1908年(明治41年)に始まりました。最初の移民は、笠戸丸という船で日本から2か月かかってサントス港に到着した700人ほどで、その半数ほどは沖縄県民だったと言います。笠戸丸は6千トンほどの外航船ですが、この船自体も大変数奇な運命をたどりました。イギリスで建造されたこの船はロシアの船会社の貨客船として運行していましたが、日露戦争の時にたまたま旅順港にいて日本海軍に捕獲されました。

その後、笠戸丸と命名されてブラジルやハワイへの移民を運ぶ貨客船として使われてから水産会社に売られ、第二次大戦終結の時に今度はソ連軍に捕獲されカムチャッカ沖で爆沈させられたのです。

 

 ブラジルでは19世紀末までアフリカからの奴隷を使ってコーヒー栽培などをしていましたが、奴隷制への批判が高まり制度を廃止したため今度は労働力が足りなくなりました。奴隷制の廃止はアメリカより20年ほど遅かったのです。そして日本人移民は奴隷労働の穴を埋めるために使われたわけで、当初は大変過酷な環境だったと言います。

 

 日本人街として知られるリベルダージには立派な日本文化会館があり、その7階から9階までが日本移民資料館になっています。戦前の移民の家が再現されオリジナルの生活用具が置いてあります。当時の日本のパスポートなど文書の資料やラジオから手製の剣道の防具まで実際に使われていた品が展示されています。ブラジルには戦後も多くの人が移民しました。戦後の移民は大戦で壊滅した沖縄からの移住者が多く、次いで1960年代になって次々に閉鎖された北海道や九州の炭鉱で働いていた人たちが移り住んだのだそうです。

 

 第二次大戦でブラジルは連合国側に立って参戦したものの、アメリカのように日系人が収容所に入れられることはなかったと言います。確かに生活は本当に厳しいものだったでしょうが、同じ時期に当時の「満洲国」へ移民しその後ソビエトの参戦で多くが離散し亡くなった人たちと比べれば、ブラジルへの移民はまだ幸いだったと言えるでしょう。

(つづく) 

 


私のブラジル日記(9) ブラジルの「お嬢様」

 リオ観光のガイド役としてホテルまで迎えに来てくれた我が友Dudaは自分で運転せずに、中年のおじさんの運転する車でやってきました。わざわざ車をチャーターしてくれたのかと心配して、「大丈夫なの?」と尋ねると、彼女は「大丈夫よ、この人はうちでもう20年も仕えてるんだから」と言うのです。つまり運転手はDudaの家の使用人だったのです。私が大丈夫と尋ねたのはお財布の方だったのですが、彼女の大丈夫は安全面のことで、会話がすれ違ってしまいました。

 

 彼女はごく普通の家庭の子(つまり旧王族とか製糖王とかの娘ではなく)なだけに驚きました。お父様がGloboというテレビ局に勤めている事は知っていましたが、運転手つきの車を乗り回す身分だとは思いもよりませんでした。つまりDudaは「お嬢様」だったというワケです。ブラジルでは普通の家庭でも使用人がいるのですね。

 

 まあ、最近は中国でも阿姨(女中)を使っている家は少なくありません。地方から出稼ぎにきた農民を女中や乳母と雇い、母親が会社に仕事に出ているというのはごく普通です。このところ時給がずいぶん上がったようですが、そういう農民は厳密に言うと北京市への「不法滞在者」なので、雇うのも人づてで探します。だからまだまだ安く雇えるのです。日本みたいに、保育所の待機児童が…なんて騒がなくても、知識階級の母親の社会進出は農民が支える仕組みになっているのです。ブラジルもその意味では中国と経済の発達段階が似ているのかも知れません。

 

 

 あと二人Dudaの友達を拾ってみんなで昼食に行きました。これもどこか山の上なのですが、リオの地形は入り組んでいてどこだかさっぱりわかりません。とにかくアマゾンのジャングルをイメージしたレストランのようです。

 

 最初はインドのサモサみたいなもので、1つは肉が、もう一つにはチーズが詰まっていました。カシャーサというブラジルの白酒というか焼酎みたいなモノ(サトウキビから作るラムの親戚で強いやつ)で作ったカクテルの肴にとても合います。

 

 

 

 

 

 メインは英語メニューにpork legと書いてあったのを選びました。ひょっとして私の好物の豚足の煮込みじゃないかなんて思って頼んだのですが、出てきたのを見たら腿肉でした。残念ッ! 

付け合せはお米と何か黄色い野菜のようなものを混ぜて炊いたものと白いご飯です。ご飯といってもブラジルでは長粒米が普通ですからパサパサしてソースによく絡みました。(一方、サンパウロでは日系人が多いので普通のスーパーでも「日本」米を売っています。ウルグアイ産のが一番ご飯としておいしいと日系人は言います。)

 

 デザートは味の薄いチーズとジャムやカラメルの取り合わせです。特にこのカラメルはチーズとよく調和して絶品。Dudaの分まで食べてしまいました。

 

 

 

 私もDudaもその友達も、みんな年齢はほぼ同じです。もう若いとは言えない「お嬢様たち」の会食記念写真は逆光で真っ暗。却って目じりのしわとか見えなくていいかも知れません。

 

 

 日本へ帰ってきて、朝の通勤電車で足を踏まれてとても痛い思いをしました。そんなコトがあると、ああ私も運転手つきの車で通勤する「お嬢様」になりたいなぁと思います。

 


私のブラジル日記(8) シュガーローフとコパカバーナ

 

 リオデジャネイロに住んでいる友達がいます。昔イギリスの大学院で一緒に学んだ(遊んだり飲んだりの方かも…)仲間です。あのキリスト像へ連れて行ってくれたのもこの子です。名前はMaria Eduarda、普段はみんなDudaと呼んでいます。私は前から、日本の転職雑誌みたいな名前…と思っているのですが。

 

sugarloaf

 

 Dudaが、ここは私の地元なんだから全部任せてと言うので、行先もスケジュールも彼女に決めてもらいました。最初にSugarloaf山へ行きロープウェイで頂上まで登ります。Sugarloafというのは英語の呼び方で、ポルトガル語だとPão de Açúcarというのです。ブラジルにはPão de Açúcarというチェーンのスーパーマーケットがあちこちにありますが、この山の名前に由来するのだそうです。そういえばスーパーのマークはこの山をデフォルメしたデザインなのだと後で気づきました。
 

copa2

 

 途中の山でロープウェイを乗り継いでPão de Açúcarの頂上まで行くと丘を隔ててコパカバーナのビーチが伸びているのが見えます。コパカバーナはとてもきれいなビーチですが、なにしろあの辺りは治安が悪く、ブラジル軍全員が警備に当たってるんじゃないかと思うほど軍隊だらけだった今回のオリンピックの最中ですら、日本人を含めたくさんの人が拳銃強盗にあっている地区なのです。もっともブラジルの拳銃強盗はお金さえ差し出せば人殺しをすることはまずないということですが。

 

copa

 コパカバーナの海岸の砂はとても細かく滑らかです。これだからこそ、倒れこんでトスを上げるようなビーチバレーがここで始まったんだなと思います。コパカバーナと同じぐらい有名なフランスのニース海岸が見渡す限り玉石で覆われているのに驚いたことがありますが、こちらは名にし負う綺麗な砂浜です。もっとも8月は冬ですから泳いでいる人はありませんでした。ブラジル人は胸が豊かな人が多いだけに、私としては水着の人など誰もいないという状態の方が、余計な心無い比較などされないで済むので望ましいかぎりです。
 


私のブラジル日記(7) コルコバードのキリスト像

 

下から

 

 

 リオの景色と言うと、丘の上に立つあのキリスト像を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。コルコバードの山頂に立つキリスト像はブラジル独立100周年を記念して、1922年から1931年にかけて作られたものです。よく「コルコバードの丘」なんていいますが、下から見ると丘どころかとんでもない高い山のてっぺんに立っているのがわかります。(写真の山の上の爪みたいのがそうです。)

 

  私が行った日は山の上まで上がれる登山電車が運休していて、友達が運転する車で曲がりくねった道を上がりました。途中からは個人の車は通れなくなり、乗り合いのミニバスに乗せられて頂上近くまで行きます。

 

上から

 最後は200段近い階段を登って(ヒールがもげそうだった)漸く頂上に着くと雲に遮られていて何も見えません。1時間ぐらい粘って漸く雲も晴れ、四方にリオの町が見下ろせました。写真では山裾にマラカナン競技場が見えます。

 

像

 

 ポルトガル語では何というのかわかりませんが、英語ではChrist the redeemer(救い主キリスト)の像と呼ばれています。像の真下に立って見ると、想像していたより小さいと感じる人が多いようです。私もそうでした。

 

 像そのものの高さは約30メートルだそうで、40メートルある高崎の観音様より一回り小さいのです。大体ニューヨークの自由の女神と同じぐらいの縮尺だそうです。

 

 中には階段がついていて頭のてっぺんまで登れるのだそうですが。この日はちょっと遅かったせいか登り口を見つけることができませんでした。

 

 


私のブラジル日記(6) 酒で飛行機が空を飛ぶ…?

前の環境保護の話で書いたことの補足と訂正をしておきます。

 

 ガソリンとアルコールのどちらでも対応できるフレックス車について、「ブラジルの場合はガソリンの25%までエタノールを混ぜてよいのだそうです」と書きました。でもこれは間違いのようです。フレックス車は技術的にはアルコール100%でも、ガソリン100%でも、それらを混ぜても使えるのだそうです。25%という数字の出てきた理由は、ブラジルでは環境対策としてエタノールをこの程度混ぜて使うことが法律で義務付けられたという事実が背景にあったようです。

 

 あるブラジル人は、エタノールは安いがリッターあたりの走行距離が短いので結局得にはならないから自分はガソリンだけで走りたいし、エタノールの押しつけは政府の勝手な方針だと苦情を言っていました。調べてみると発熱量はガソリン1リットルが3万キロジュールぐらいなのに対して、エタノールは2万キロジュールぐらい。つまり自動車が走行できる距離は3分の2程度ということになります。それなら価格がガソリンの3分の2程であって当然かもしれません。

 

 もちろん環境に対する意味合いは化石燃料とバイオマスで異なるわけで、それを国の方針として打ち出したブラジルはすぐれた国だと言えるでしょう。しかし、住民は環境意識よりは車の出足の良さの方を大切に思っている人も多いようです。

 

 ブラジルにはエンブラエルEMBRAEREmpresa Brasileira de Aeronáuticaという航空機メーカーがあります。売上高で欧州のエアバス、米国のボーイング、カナダのボンバルディアに次いで世界第4位の航空機メーカーだそうですが、このエンブラエルはエタノールで動くジェットエンジンを開発中で、ある程度は実用化の目途のついた状態だと言います。

 

 エタノールは漢字で書けば「酒精」。エンブラエルの開発が成功すれば、飛行機がお酒で空を飛ぶ時代が来るわけです。お酒で「ハイ」になるのは人間だけじゃなさそうです。

 (^o^)v


私のブラジル日記(5) 地球環境に敏感な国、鈍感な国

 

ブラジルのガソリンスタンドを覗くとガソリンがリッター3レアルぐらい(100円ぐらい)と書いてある横に、エタノールがリッター2レアル(65円ぐらい)と書いてあります。しばらく見ていると、ほとんどの車はガソリンとエタノールの両方を給油していきます。エタノールといえば私の大好きなお酒の素。自動車に呑ませるなんてもったいないと思い話を聞いてみました。(下の写真のスタンドではガソリンが2.99レアル、エタノールが1.98レアルと約3分の2の値段です。)

 

1 ブラジルでエタノール、つまりエチルアルコールを燃料に使う計画は古く、1930年代に始まったそうです。原料はサトウキビ。現在ブラジルは世界のサトウキビの4割を生産していますが、砂糖とエタノールの市場価格を見ながら、サトウキビのどの程度の割合を砂糖とエタノール生産に振り分けるかを決めているのだそうです。1970年代の石油ショックの時に国家計画が作られ、2003年になって再び原油価格が高騰を始めたため、ガソリンにエタノールを混ぜて走る車の生産に力を入れました。フレックス車と呼ばれるこの種の車では、ブラジルの場合はガソリンの25%までエタノールを混ぜてよいのだそうです。(エタノールの最大生産国である米国ではもっと低い。)ブラジルではいま生産されている車の9割以上がフレックス車で、どのガソリンスタンドでもエタノールも入れることができます。

 

 エタノールは自然の循環の一部であるサトウキビから作られるので燃やしても炭酸ガスの総量には影響しません。一方ガソリンは化石燃料なので燃やせば現在よりCO2が増えることになります。サトウキビ由来のエタノールを使うことは、つまり炭酸ガス増加による地球温暖化を防げるというわけです。

 

2 バスターミナルで見かけたトロリーバスです。車体の横に「トロリーバスは電気駆動、炭酸ガス排出ゼロ」と書かれています。こんなことをわざわざ書くのも市民の環境への関心を高める政策によるのでしょう。ブラジルの発電は90%近くを水力に頼っています。これは原油が取れないことと降雨量が半端でなく多いことによるのですが、水力発電の電気を使って走るトロリーバスなら、たしかにCO2排出量ゼロと大見得を切ってもいいでしょう。

 

3

 こちらは動物園で見かけたごみ箱。5種類にごみを分別するようになっています。写真の左から金属、プラスチック、紙類、動植物由来の有機物、その他と書いてあります。もっともこんなに細かく分類してあるのはここだけで、ふつうは「再生可能」と「その他のゴミ」の2種類の分別であり、おおざっぱなブラジル人はそれも適当に投げ込んでいるのが実情です。ですからこの動物園の分別は、子供の時から地球環境に興味を持たせるための教材として置いてあるのでしょう。

 

 ブラジルはアマゾンを抱えるだけに、具体的な地球温暖化対策を国を挙げて進めています。一方、日本は京都議定書などを作っておきながら、実際にはCO2の歯止めにはほとんど何もしていません。その反面、タバコの煙とか枝葉末節のコトにだけは妙に熱心で、副流煙の毒をヒステリックに主張するオバハンがたくさんいます。小さな脳みそが頭の中で偏っちゃったそういう人の声は大きいのですが、タバコの副流煙で地球温暖化は起きません。(タバコも巻紙もバイオですから)その一方で、2012年の京都議定書の改定に際しては日本はなんの数値目標も示さず逃げの姿勢を決めており、国内の嫌煙オバさんたちを隠れ蓑にして、ブラジルのように地球温暖化防止に取り組むことは全くやらないようです。

 

新都知事はオリンピックに向けて全面禁煙などという重箱の隅をつつくようなアホウなことを主張せずに、ブラジルに倣って地球温暖化にまともに取り組んだ方がよほどマシだと思います。

 


私のブラジル日記(4) 落書きだらけの国

 

ブラジルの落書き

 日本でもよく電車のガード下などに「何とか参上」なんて落書きがありましたが、ブラジルの落書きはその規模でも描く場所でも格段にひどいものがあります。

 

1

 これはリオのオリンピック競技場に近い「ヤバい」地区です。ゲートの上の有刺鉄線の張り方を見ても治安の悪さがわかります。こういう地区では、とにかく通りの壁やシャッターすべてに意味のない落書きがされています。

 

 

2 こちらは同じ地区のカフェのある建物。オリンピック期間中は治安部隊がまわりをすべて取り巻いていますから外国人も平気でここで食事したりしますが、軍と警察がいなければ10分以内に強盗に身ぐるみ剥がされるのは間違いなさそうです。それにしても2階から3階の壁にかけてまでよくご丁寧にワケのわからない勘亭流みたいのを書いたものだと、その根気に感心しちゃいます。

 

3 こちらの建物はもっと治安が良い市内の別の地域にあり、窓なんかちょっと洒落た作りになっていますし、壁も見たところ新たに塗りなおしたばかりのようです。

 

 一方、リオの国内空港へ通じる高速道路では、聖書の文句や人生訓などを橋脚の一つ一つに同じデザインで書き記した場所があります。地元の人に聞くと、いわゆる町の隠者みたいな人が書いているらしく警察も見逃しているとのことでした。でもブラジルの役人は時々気まぐれに町の清掃浄化を思いついて落書きを消せとのお達しを出すのだそうで、その都度その隠者がまたゼロから描き直すのです。落書きにもいろいろな種類や動機があるようです。

 


リオデジャネイロ出発ッ!

リオデジャネイロから出発っ!

 

空港 

 リオデジャネイロのサントス・デュモン国内空港。

 

 ここからサンパウロへ向かいます。

 

 昨日登ったシュガー・ローフの岩山が、湾を隔てて滑走路の真正面に見えます。

 

 ここから出発する飛行機はみんな離陸後に左へ旋回してシュガー・ローフを避け大空へ飛んでいきます。

 


私のブラジル日記(3) サッカーW杯だけでやめておけばよかったのに…

ブラジルはW杯だけにしておくべきだった…

 

競技場

 

 リオデジャネイロの陸上競技場。日本のリレーチームがジャマイカに迫るという快挙を成し遂げたこの競技場では、特に予選中心の午前のイベントはスタジアムがガラガラの状態でした。上段の客席は半分も埋まっていません。夜の決勝ラウンドでも同様で、入場券がほとんど売り切れたという組織委員会は体面のためにウソを並べたとしか思えません。
 

 一方、昨夜のマラカナン競技場ではサッカーの決勝戦、ブラジル対ドイツの試合が行われました。こちらは満員どころか立見席まで一杯で人が溢れたとのこと。組織委は一体どんな切符の売り方をしているのでしょう。

 

サッカー

 

 他の競技の会場でもモニターのチャンネルをブラジル人が勝手に替えてサッカーを見ています。モニターは本来この会場で行われている競技の進行状況を見るためのものですが、そんなことは全くお構いなし。コーラの配達人から競技の関係者まで座り込んでボールの行方に一喜一憂して大騒ぎでした。

 

 結局、この国の人はサッカーにしか興味がないようです。サッカーだけと言って語弊があるなら、サッカーボールぐらいの大きさのボールを使う競技以外には全く興味がないようです。(バレーとバスケット、ビーチバレーまでは何とか…)

 

 今回のオリンピックの組織運営は驚くほど計画性がありません。大会が始まってからも毎日変更を重ね、次のパラリンピックの開会式の時刻すらまだ決まっていないという無責任な仕事をしたブラジル人に対し、各国のメディアは酷評するとともにブラジル人を阿呆な人種として大いに馬鹿にする結果となってしまいました。

 

 あるイタリアの記者は「この国はワールドカップサッカーだけでやめておけばよかったのに」と言い、北欧の記者は「この国はオリンピックを開催して自国の評判を落とすべきではなかった」と言っていました。

 

 また知り合いの中国のテレビ局の人は「我々もずさんだけど、この人たちよりマシだよね」と言いました。たしかにブラジル人と中国人はともに大雑把で杜撰なところは似ていますが、中国人は面子を大切にし外面をよく見せたいところがありますから、何とか表面だけでも糊塗してボロを出さないよう一生懸命に工夫をします。ところがブラジル人ときたら、杜撰でいい加減で行き当たりばったりであることを隠しもせず恥じもしていないようです。

 

 結局、オリンピックという非常に大規模で極めて複雑なイベントをどのように運営できるかによって、その国の国際的な評判と国民の評価が決まると言っていいと思います。

 

 翻って東京のオリンピックを考えると、阿諛追従だけの取り巻きと未経験なのに威張りくさってる国や都庁の役人ばかりに囲まれた森喜朗元総理が会長に居座っている限り、リオよりマシな組織・運営は無理だと思います。それは東京の組織委が「オールジャパン」と言いながら、実は「ジャパニーズ・オンリー」であり、組織委にいまだに外国人が一人も雇われていない「閉鎖社会」であることからも自明です。

 

 このままでは、日本もリオデジャネイロの組織委と同様に、オモテナシどころか、表も裏もなく日本人はホントは阿呆だという評判を世界中でたてる結果になってしまうでしょう。

 

 

 

 


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