私の「満鉄」旅行記(5) 満洲国皇宮(2)

  • 2019.02.27 Wednesday
  • 19:42

満洲皇帝の執務棟「勤民楼」

 緝煕楼(しょうきろう)の裏側には溥儀が公務を執った勤民楼があります。ここには溥儀や宮内府の官僚たちの執務室の他、皇帝の御座所、日満議定書が署名された部屋やパーティー用の大広間などがあります。緝煕楼や勤民楼の内部は満洲国崩壊後のソ連軍の侵攻や国共内戦のために破壊されてしまい、2000年から偽満皇宮博物院として公開するための工事が始まりました。10年余り前の朝日新聞に次のような記事が載っています。

 

愛新覚羅・溥儀の「皇宮」、全面復元へ 中国・長春

中国吉林省長春市の「偽満皇宮博物院」が、「満州国皇帝」とされた愛新覚羅・溥儀の住居や執務室周辺の「全面的な復元」とリニューアルを進めている。抗日戦争の歴史を伝える「愛国主義教育基地」の役割強化とともに、観光客への魅力の向上がねらい。関東軍が使用したとされる馬場やその関連施設が復元されたほか、大規模な展示館も新たにオープンした。長春市政府が「皇宮復元計画」を打ち出したのは00年。溥儀が執務を行った「勤民楼」や住居とした「緝熙楼」などに関連資料を展示してきた同博物院は、1万2000平方メートルだった敷地を約10倍以上に拡大。周辺の庭園復元など計23項目の建設計画を進めてきた。すでに建設が終わった馬場は乗馬観光などもできるようにする予定。また「御花園」を復元し、大規模な緑化公園を建設する工事も進む。さながら溥儀と抗日戦争を主題とした大規模なテーマパーク建設の様相だ。2006年10月6日朝日新聞

 

 ちょうどこの記事が書かれた頃は北京オリンピック前のバブル初期で、テーマパークで人を集めるのが流行りだったのです。西安でも秦始皇帝が焚書坑儒で儒者を生き埋めにした場所のテーマパーク化が計画された話を以前書きましたが(私の西安日記(1)焚書坑儒http://zhao.jugem.jp/?eid=913、満洲皇宮は「不忘先事、後事之師」というわけで、様々な当時の資料を基にまともな復元が進められているようです。元の皇宮の敷地は戦後は一般の用途に使われていたため、復元のために3つの市場、2つの学校、2つの工場、ガソリンスタンド1つ、それに600戸あまりの住宅を移転させたというのにはびっくりしました。今の計画では最終的に工事が終わるのは2024年の予定だということです。

 

 皇帝溥儀の執務室のすぐ隣は皇帝御用掛だった日本の軍人、吉岡安直の執務室です。吉岡は関東軍司令部付の立場のまま、この役を務めていたのです。吉岡については溥儀自身が「我的前半生」の中で、自分に対する監視や言動について批判しているほか、溥儀の弟、溥傑氏の夫人だった嵯峨浩さんも吉岡が皇帝を操っていたと書いています。しかし、吉岡や侍衛長だった工藤鉄三郎については溥儀に対して実は大変忠誠を尽くしたという意見の人もあり、日本人はそれをめぐって今でも議論を戦わせています。
 

 でも、そもそも日本の軍人が皇帝の部屋の隣で御用掛として執務していること自体が、五族協和なんてスローガンが最初からデタラメだったことを示しているじゃないですか。吉岡自身がどのような気持ちと心構えだったかなんてコトは中国人にとってはどうでもいい話なのです。日本人である関東軍の現役将校が満洲国皇帝御用掛を務めるという満洲国政府の枠組みそのものに関する議論は横に置いて、皇帝への忠義などに話を矮小化し枝葉末節の議論に口角泡を飛ばす日本人はホントに重箱の隅しか見ない人たちだと思います。

 

 

 勤民楼の下には溥儀の乗用車も展示されています。これは溥儀が個人的に使っていた車だと言われますが、説明書きがないのでメーカーも車種もよくわかりません。満州国皇帝の御料車(公用車)は米国製のパッカードのリムジンだったのですが、この写真の車は公用車より小さく窓の形も違いますし、エンブレムも異なります。ここの売店では公用車パッカードの模型を売っており、車好きの日本人が結構買っていくということでした。

 

満洲皇帝の新宮殿

 この手狭な宮殿は仮のものという扱いで、本来は町の南西側に新宮殿が作られる予定でした。新宮殿は1938年に建設が始まりました。宮殿は東西220m、高さ31m、2階建てという壮大な建物もなる計画で、屋根瓦は北京の紫禁城と同様の黄金色の瑠璃瓦が葺かれる予定でした。しかし戦争の激化で建設資材が足りなくなり、1943年に工事は中断されたまま終戦を迎えることになります。終戦までには地下の部分しかでき上ってはいなかったのです。

 

 戦後、国共内戦のあと、中国政府が日本の作った設計図を基に建設を再開し、1950年代になってこの建物を4階建てで完成させました。もちろんその用途は宮殿ではなく、長春地質学院の教室として使うためで、その後長年にわたって地質学院の学生たちが学んだこの建物は、今は吉林大学の地質博物館になっています。一般公開されていると言われていましたが、私が訪れた時には改修工事中で中へは入れず、しかたなしに正面から写真だけ撮りました。この広場は宮殿正門前の広場になるはずだったのですが、今は長春文化広場として公園になっています。この公園から延びる新民大街の大通りには満洲国の政府機関や官庁が立ち並んでいましたが、今も建物はほとんどがそのまま残っていて、かつての満州国軍事部、司法部、経済部、交通部、満州中央銀行本店、国務院なとが並んでいます。もちろん今の用途はまちまちで、大学や病院、吉林省政府機関や党の機関などが奇妙な形の古めかしいビルに入居しています。(偽皇宮の項、以上)

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