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私の西安日記(3) 薄姫 ’姫の墓

JUGEMテーマ:中国ニュース

 
 
薄姫は漢の劉邦の側室で、三代目の皇帝になった文帝の母です。母方が魏の王族であり、苗字が薄氏なのはわかっていますが、名は伝わっていません。薄姫の陵は、前回ご紹介した覇上にあり、正式名称は「漢薄太后南陵」といいます。つまり皇帝の母として葬られているのです。
薄姫4

 
 今は使われていない広い駐車場から雑草の生えた石段を登り、色褪せた正門を入ると参道が続いています。ここは観光地として売り出そうとして失敗したのでしょう。駐車場横の木造のシャレた大きなレストランも扉に錠がかかって風化しかけています。一日に何万もの人が押し掛ける兵馬俑博物館へ行く道筋から覇上が外れているせいでしょうか。

 

 正門からの参道の両側には、文帝が薄太后に親孝行だったという言い伝えから、中国で有名な親孝行の故事を石碑にしたものが並んでいます。陵そのものへは登れないように参道の突き当りはフェンスで囲われ鉄柵の扉が鎖で閉じられていますが、そこは中国です。門扉の鎖が長く緩いために扉の隙間から中へ入れるのです。

薄姫2 そこからさらに石段を百段以上登って陵のてっぺんに到着です。ここからは唐以降の長安の都とその一部である現在の西安城、その向こうに渭水を隔てて咸陽が眺められます。ちなみに今の西安の空港は渭水の北、咸陽の側にあり、咸陽空港と呼ばれています。またここからは薄姫の夫劉邦の長陵、息子文帝の覇陵も遠望できます。
 

  薄姫というのは不思議な人です。同じく劉邦の側室だった戚姫が正妻の呂后に惨殺され、その子の如意も毒殺されたのに対して、薄姫もその息子の恒も呂后の迫害をうけなかったのです。その理由について、女子高生のグループ形成やスクール・カースト(学校内での暗黙の身分)という視点から次回は見てみることにします。

薄姫3

 


コメント
呂后の戚姫や他の側室の生んだ王子に対する仕打ちを考えると、江戸時代の大奥なんて子供の遊びみたいなものです。

目をえぐり耳を焼き、両手と両足を順番に切り落として最後はトイレに投げ込んで人に見せるというやり口を江戸城でやったら、大奥など一度に争いがなくなったことでしょう。
  • 趙秋瑾
  • 2015/09/26 8:21 PM
国がそこそこ安定してくると今度は内部での権力あらそいみたいなものが起こるのは世の常で日本でいうと、江戸時代の大奥の争いが中国の漢時代にもあったのでしょうか。まあ、呂后については多少は存知あげておりますが・・・
でも、男の立場からすると中国三大悪女といわれる方たちはそれなりに魅力(と実力)がありまして尻にしかれてしまうのです。ダメ男ですみません・・・
  • 田中進
  • 2015/09/26 6:02 AM
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