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私の西安日記(7) 咸陽宮(その1) 誰も行かない「名所」

JUGEMテーマ:中国ニュース

 咸陽は秦国の都であった。漢の高祖、劉邦が攻め陥し、項羽が焼き払ったのもこの都である。秦はそれ以前は咸陽から直線距離で東へ30キロほどのところにある櫟陽に都を置いていたが、紀元前350年、孝公の時代に疝曚噺討个譴討い燭海里△燭蠅冒都し、名を咸陽とした。櫟陽や咸陽など「陽」の字が含まれる土地は、川の北側か山の南側にあることを示している。櫟陽と咸陽はともに渭水の北側にある。(日本の山陽、山陰も同じ理屈。)

博物館
(秦咸陽宮址博物館)
 今の咸陽宮址には小さな博物館がある。しかしお客は誰も来ないと見えて中に人がいるにもかかわらず入口の背の高い鉄扉を閉まったままだ。大きな声で「誰かいますかー?」と叫んで扉をたたくと、しばらくして係員が鉄扉の一部にある畳一畳分ぐらいの扉を開けてくれた。敷地内には入場券売り場もあって「入場料10元」と書いてあるのだが、お金はいらないと言う、全く商売っ気のない市の公務員らしい係員に10元札を押しつけたらとても感謝されてしまった。

 展示室は2つあって、係員が扉を開け電気をつけてくれたのですぐに入ろうとすると、ここ暫く開けたことがないので中の空気が黴臭いからしばらく待てといわれた。湿ったにおいのする展示室には、咸陽宮の磚や瓦などの僅かなものしかないが、磚の線刻はなかなか素晴らしく、さすがに秦の国力を垣間見る思いだった。また戦国7か国を統一した始皇帝が、度量衡も共通にすることを布告した青銅板もある。ここには「皇帝」の文字が見えるので始皇帝時代のものとわかるのだが、貨幣や度量衡、さらには馬車の軌幅まで統一した建国の意気込みが感じられる。

水道管 秦の水道管

 もうひとつ面白かったのは水道管である。焼き物で作った水道管だ。管の片方がすぼまった形になっており、それを嵌め込んでつなげる形になっている。水道建設で一番有名なのはローマだ。。ローマの「街道の女王」と言われるアッピア街道は、紀元前312年にアッピウス・クラウディウスが建設を始めた。秦では恵文王の治世で、ちょうど咸陽宮を作っていた時と重なっている。東西で同じような時期に公共工事が行われたのは興味深い。水道管には断面が五角形のものもある。五角形のものは下水管だと言われるが、どちらがどのように使われたのかは判然としないという。

 
水道管4

 左の写真はローマの水道管である。ローマは千分のいくつというような、現在の鉄道建設で使われているぐらいの精度の傾斜を持つ水道橋をヨーロッパからアフリカ各地で作った。ローマの水道管は石、磚、鉛などいろいろなものが使われているが、秦では磚が主だったようだ。
 
 今から2300年も前に水道管が完備していた都市はローマと咸陽ぐらいではなかったのだろうか。日本はまだ縄文時代から弥生時代へ移り変わるぐらいの文明しかなかった時代のことである。



 (つづく)

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